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藤城清治

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1924年4月〜

藤城清治は、1924年、東京に生まれ、現在も日本の影絵作家として活躍しています。


1936年:慶應普通部に入り仙波均平氏に水彩画、油絵、エッチングを教わる。

1941年:独立美術協会展、国画会展、春陽会展等に入選

1946年:慶応の講師で人形劇研究家の小沢愛圀氏により、アジアの影絵芝居と出合う。教会の日曜学校で学生たちと影絵劇をはじめる。

1952年:NHK TVの試験放送がはじまり、NHKの専属となる。人形と影絵の劇場ジュヌ・パントルを 木馬座と改名する。

1955年:三島楽寿園で人形劇と影絵劇を春と秋それぞれ3ヶ月以上上演、以後3年間つづける。

1956年:影絵劇「銀河鉄道の夜」が1956年度国際演劇参加読売児童演劇祭奨励賞、日本ユネスコ 協会連盟賞受賞。

1960年:初めての影絵画集「影絵」を東京創元社から出版。

1977年:藤城清治影絵画集」を講談社から出版。「藤城清治影絵カレンダー」のオリジナル版を自主制作はじめる。

1995年:勲四等旭日小綬章を受章。

2013年:藤城清治美術館那須高原が栃木県那須町にオープン


藤城清治美術館 那須高原について

光と影の芸術を追い求め80年以上超え今、尚も光の世界に、打ち込み進化を遂げ進化しつづける光の芸術人藤城清治氏の集大成が、那須高原に、藤城清治美術館に常設してある。藤城清治氏の本人の独自の思いが、この美術館にはある。 その思いは、劇場型美術館、影絵劇と同じ様に、お客様と舞台が、一体化した様な美術館としてイメージした。美術館の中に、過去最大サイズの横幅6Mの巨大水槽を利用した渾身の大作「魔法の森に燃える再生の炎」。セットの裏側もご覧にいただけるシアター型舞台。天井や壁面、床などの空間に映像が溶け込むプロジェクションマッピングがある。 美術館は9年前、那須に完成した。 「僕は学生時代から今日のこの日も毎日、世界中の多くの人々に影絵を通して生きる喜びを、光の祈りを捧げて行く。今日という日がある限り、人々の心に光から寄り添って明日の未来に向かって行く。また明日に未来が続く限り、僕は光、祈る。」

一般財団法人藤城清治美術館那須高原

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